茨城県龍ケ崎市の新築、リフォームのことなら北澤工務店
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    あっという間に新年も半年を経ます。ほんとうに時間が経つのは早い。まわりを見れば田んぼには整然と稲が植えられ、気温もぐんぐん上がり、間もなく梅雨が到来します。いかがお過ごしですか。

5月21日、栗城史多さんが亡くなったとのショッキングなニュースがyd_usukita1飛び込んできました。世界最高峰のエベレストを単独無酸素、そしてそれを『冒険の共有』としてインターネット中継するということを目指していた若者です。彼への賛辞・批判は異常とも言えるほどの熱狂ぶりです。お調べになった方も多いかと思います。私が調べた範囲ですが、その熱狂ぶりは二つに集約されるかと思います。

一つは登山家としての未熟さのようです。彼が今回選んだ登山ルートは『南西ルート』といって、ノーマルルートと比較して雲泥の差がある最も困難なルートだそうで(しかし今回は7400m付近での撤退ということで、ルートによる事故ではないとのこと)、現在の世界中のアルピニストの中でも成功できるのは数人いるかどうか、というほどの難易度なのだそうです。だから多くのプロ登山家が出発する前から『絶対無理、また途中で下山するに違いない』『他の登山家に迷惑だ』と評していたのです。できないことが分かっていながら講演やテレビ取材、企業の協賛金集めをする彼を『詐欺師』呼ばわりする投稿も数多くありました。

もう一つは、私たち一般人に対する『夢に生きる』というシンプルで強烈なメッセージだと思います。曖昧(あいまい)でぼんやりと、生が不鮮明な毎日をただ生きているだけの現代人に対する強烈な覚醒のメッセージ。。。我が家は家族で応援していましたが、批判があることを承知しつつ、挫折を繰り返しつつ、8度もエベレストにチャレンジし続けた彼の純粋な姿に感動していました。日常に忙殺された自分の生き方を投影していたのでした。

数多くのエピソードや言葉を残した栗城史多さんですが、私にとって忘れられない言葉があります。2012年、4度目のエベレスト単独無酸素登山の時、この時も強風により下山を決意。その際凍傷を罹患し、指を9本失ったのです。その後、この冒険を続けられるかどうか、葛藤に葛藤を重ねた彼の内側から湧いてきたのであろう魂の言葉。それは、『指を失うことよりも恐かったのは、夢を失うことだった』でした。私は私の胸の奥底が震え、涙があふれました。私にはこれほど強烈な夢がない・・・いやきっとあるはず・・・俺にもきっとできる!!!

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人は誰もが『使命』という『いのちのつかいどころ』があると信じています。大きい小さいに関わらず、あると信じています。栗城史多さんは、もしかしたら、命を賭して、批判にも負けず、常識にも囚われず、私たちが忘れていた純粋な『夢を持つこと』への覚醒を伝えてくれたのかもしれません。あなた様はどう思われますか。

 

家暮楽(かぐら)では、別紙にある通り様々な企画を立てています。特に7月15日(日)の龍ケ崎森林公園におけるBBQ大会は、昨年も好評だった流しそうめんやディズニーランドのペアチケットが当たる抽選会など盛りだくさんの内容です。ぜひお気軽にご参加ください\(^^@)/

    あっという間に桜前線が北上し、新緑の季節となりました。その隙間から差し込む日差しはこの上なく美しいですね。いかがお過ごしですか。
左のページでもご案内しておりますが、友人の道場団長より『皇居勤労奉仕団』の案内をいただきました。平日4日間という一般の社会人にとっては有り得ない日程ですが、万障繰り合わせた人だけが体験できるまたとない機会です。可能性がある方は、まずは登録だけでもされてはいかがでしょうか。キャンセルすることも可能です。

《そもそも、なぜ?》                                                    DSC_4712

今年の『特攻に学ぶ知覧の旅』は26名の参加を頂き、3月31日4月1日に実施しました。詳細は『おさむのブログ』に記載しましたので、よろしければご覧下さい。

そもそも『なぜ特攻なのか?』なのですが、私は戦争マニアでもないし、右翼でもなんでもない。特攻に限らず、歴史上の人物の『生き様』に強い興味関心を持つ傾向があります。例えばぐぐっと遡って縄文時代にも強い興味関心があって、大陸文化が押し寄せる弥生時代との狭間で起こった縄文人の生き様を想像するだけでわくわくが止まりません(笑)土偶なんて最高!!だいたい最近まで『土偶』と『埴輪』の違いすらわからなかった私です(^_^;)                                                                                               28345

古い歴史は想像することしかできませんが、近現代史はまだまだ身近に残っています。中でも現代日本の精神構造を劇的に変えた大東亜戦争(太平洋戦争)は、その後のGHQによる占領政策はじめ、命を賭して戦った先人についても、余りにも私たちは知らな過ぎる。なにかタブーのような雰囲気があって、学校でも教えない(教えられない)ものだから歪んだまま。マスコミを賑わす信じられないような事件を見るたびに、おもしろおかしく享楽にふける老若男女の風景を見るたびに、思う。このままでは次の世代にバトンをつないでいけない。自分にも何かできることがあるのではないか。ふつふつと湧いてくるこの思いが、その発露なのです。

《かつかつな旅程》

そんな思いが強すぎるからか、旅程は欲張りに欲張ってしまい、参加者の皆さんもさぞお疲れになってしまったのではと反省しております。
(初日)幻の特攻基地『万世特攻平和祈念館』⇒特攻隊の皆さんも食した『トメさんの味の玉子丼』⇒トメさんの悲願『特攻観音』参拝⇒『知覧特攻平和会館』見学⇒知覧周辺戦跡巡り⇒トメさんの孫『鳥濱明久様の特別講演』⇒明久さんを交えての大懇親会

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(二日目)希望者のみ朝5時出発⇒下駄履き特攻の『指宿海軍航空基地跡』⇒朝食後トメさんのお墓に献花⇒人間特攻隊員とトメさんのふれあいの場所『富屋食堂ホタル館』⇒今回どうしてもご案内したかった『西郷隆盛蘇生の家』⇒錦江湾をフェリーで渡る⇒旧海軍の特攻最大基地『鹿屋航空基地資料館』⇒滑走路が道路として残る『串良航空基地跡』⇒鹿児島空港・解散。

特に、明久さんの献身的な私たちへの関わりには、b026b388b73967757901892ccdce62bfどれほど涙を流したかしれません。ご講演もさることながら、最後まで懇親会に残って下さり、お酒を交わしながら周囲に集まる私たちに熱く語る明久さんの姿に、『伝えたい!』という必死の思いを感じました。

その場に行かなければ感じられないものがあると思います。来年も開催しますので、ぜひその時にはご一緒に。

《まずは行動》

昨年参加させていただいて、私の生涯の財産となった皇居勤労奉仕団の体験。今上陛下の御会釈賜われるかもしれない機会です。まずはお気軽に私までお電話ください。お待ちしております。

 

表紙で

    別れと新しい旅立ちの季節。この季節にふさわしい国花とも言うべき『桜』は、昨年と比較して2週間も早い開花となりそうです。いかがお過ごしですか。

4月は私の誕生月。51歳になります!!いよいよ自分の役割を認識して、それを全うしたいと意気込む私です。

《永遠のゼロ》                                                                         51bo4b0JtKL._SY445_

73年前のこの季節、日本は正に『国難』に遭遇していました。大東亜戦争(太平洋戦争)です。そして態勢挽回を期して考案されたのが『特攻』でした。学校でも教えてもらえない、否学校の先生も知らない事実。この事実を知らずして、伝えずして、毎日おもしろおかしく生きてなるものか、などと日々感じている私です。

4年前に大ヒットした『永遠のゼロ』を覚えている方も多いかと思います。映画を2回も観たよ!とか、小説も映画も!!とか、テレビ版も観たよ!!等々、一世を風靡した百田尚樹さんの傑作です。

その映画の最後のシーンを覚えていますか。岡田くん扮する宮部久蔵が米艦隊に突撃する直前のシーンです。

一連のドラマが終結し、三浦春馬が演じる若者とお姉さんとお母さんが穏やかに『よかったわねえ』などと語りながら長い歩道橋を渡るシーンです。(実は新守谷駅近くの歩道橋!!)談笑しながら先を行く二人の後ろで、ふと足を止める三浦春馬。街を見下ろすと何気ない風景が広がっている。きゃーきゃー言っている女子高生。乳母車を引くお母さん。お年寄りや秩序のない若者たち・・・。なんかへんだ、なんかへんだ、、、これでいいんだろうか、、、。

やがて正面から零戦に乗った宮部久蔵が三浦春馬に向かって飛んでくる。そして大きく旋回しながら三浦春馬に『無言の敬礼』をする。唖然として見上げる三浦春馬。双方目が合ったまま何度も画面は移り変わり、宮部久蔵は無言の敬礼をし続ける。その核心に触れた三浦春馬は、絶叫嗚咽する・・・・・・・。                                                  140665001444746045227_eiennozero-2           

映画の中で何度も泣いた私ですが、いま尚最も印象に残っているシーンです。この時腑に落ちたんです。あの『無言の敬礼』に込められたメッセージ。多くの特攻隊の皆さんの祈り。それは『あとを頼む』でした。

『あとを頼む』強烈なメッセージが私の中にずっしりと入ってきました。

 

あとを頼まれた自分たちが、どんな生き方をしていくのか。得することばかり考えて、毎日おもしろおかしく生きられたらいいのか。現代はすばらしい時代だ。でもその甘い蜜を吸い取るだけの世の中になってしまっているのではないか。例えば幼児虐待。昨年は84人もの幼子が親に殺されている。その多くが0歳。歯止めのきかない離婚の激増も、社会に蔓延する精神疾患も、諸外国と比較して特徴的な若者の自殺も・・・。

そんな時代を評論家よろしく語るのは誰でもできる。自分に出来ることは何なのか。あとを頼まれた者として生きるとは、どんな生き方なのか。

敗戦によって私たちは歴史を分断されてしまった。だから私はもっと歴史を学ぼうと思う。現場に行ってその場の空気に触れて自分の血肉にしていこうと思う。そしてその学びを家づくりという仕事に生かし、出会ったお客様や職人、社員と分かち合っていこうと思う。自分たちは『歴史』という時間軸の中に生きている。『歴史』というバトンを持ったランナーなんだ。縁のある方々と分かち合い、伝えあっていこうと思う。

今年も3月31日4月1日の二日間、25名の仲間と共に航空特攻の最前線であった知覧、鹿屋方面に行きます。いっぱい学んで、いっぱい感じて、仕事に人生に、生かしていきます。

   ずいぶんと陽が伸びてきました。ちょっと前ですと夕方4時半には暗くなってきたのに。来月はいよいよ桜の季節ですね。いかがお過ごしですか。

《またまた今年も富士登山\(^^@)/》

今年も富士登山を実施します。これまでは『ゆるゆる富士登山』と称していたのですが、数年続けてきて『ぜんぜんゆるゆるじゃないよなぁ・・・』と思うことしきりでした。高山病にかかる方もいらっしゃる。下山時膝を痛める方もいらっしゃる。体調不良で嘔吐に苦しむ方もいらっしゃる。天候不良で必死な思いをすることもある。

そもそも『ゆるゆる』と称したのは『富士登山が楽ちん』という意味ではなく、北澤工務店事務所前を出発してそのまま乗り換えなしで五合目到着、帰りも北澤工務店まで直行便。登山時間もたっぷり取れる。これほど楽ちんな行程はないのでそう称したのですが、実際の富士登山はやはり厳しい。

で、今年から『ゆるゆる富士登山』改めまして『わくわく富士登山』とすることに致します!!何度も何度も登っている私ですが、毎回わくわく感が増していくんです。富士山の計り知れない魅力がどんどん増していくんです。

 

《富士山まめ知識》                                                            sakasafujikawaguchi

富士山が日本一高い山というのは誰もが知っていますね。標高は3775.6mです。2番目も有名ですね。南アルプスに鎮座する北岳。標高は3193.2m、その差582.4mです。3番目から知っている方は相当マニアックなわけですが、奥穂高岳3190m、その差3.2m。4番目が間ノ岳3190m、その差ゼロm。5番目が槍ヶ岳3180m、その差10m・・・。でいったい何が言いたいかというと、富士山というのは2番目以下に圧倒的な標高差をつけて存在している、ということなんです。しかも私が言うまでもなく圧倒的に美しい。古代より神として崇められてきたことも頷けますし、日本人の精神性の象徴と言ってもいい。

その霊峰富士山に土足で登るというのも不謹慎ではありますが、気持ちだけは清浄な心持ちで登りたいものですね。                                           

 

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《ご一緒にいかがですか》

白根山の噴火に見られるように、近頃地下の変動が著しいようです。富士登山もいつ禁止になってもおかしくないのかもしれません。ご夫婦で、ご家族で、もちろん個人で、もし『登ってみたいなぁ』とお考えの方は、先ずは『わくわく富士登山事前説明会』にご参加ください。体力的なこと、装備や事前にしておかなければならないこと等々、詳しくお伝えします。昨年は72歳の方がお二人登頂しています。

《実は私・・・汗》                                                          55400

実は私、2年前より膝を痛めておりまして、駅の階段もお客様宅の階段も痛くて痛くて上れない。お医者さんに行ったところ『加齢(笑)』と柔道で痛めた古傷が原因だそうで、体重を減らしてトレーニングをして筋肉をつけるしかない、とのこと。でなければ手術です!と。。。昨年は両膝に強力なサポーターをして杖をつきながら登りました。

で、今年はその膝痛を克服すべく、3万円でスピンバイクを購入!なかなかハードですが膝の状態もまずまず良好。今年の富士登山に向けてがんばります!!

『わくわく富士登山事前説明会』お申し込み先

北澤おさむ携帯 090-3045-0587まで

5月20日(日)10時より11時半 場所 カタロ

 

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  今月号は240号、20年記念号ということで、先月号に引き続き郵送させていただくことになりました。20年続けてくることができたのもOB施主様のお陰です。ほんとうにありがとうございます。今後共どうぞよろしくお願いいたします。

《先月号の続き》                                                             yjimage

縁あって皇居勤労奉仕団に参加させていただいた私。初日が赤坂御用地、2日目が皇居附属東御苑の勤労奉仕をさせていただいたところまで書きました。特に東御苑は江戸城天守閣があったところで、その威容はまさに要塞。平和を祈る陛下のお住まいとしては、全く違和感ばかりを感じた体験となりました。

その違和感を抱きつつ三日目を迎えたわけですが、その感覚は一瞬にして吹き飛びました。陛下のお住まいや宮中三殿、研究所などがある吹上地区。そこは、まるで空間が違うのです。誰もがそう言っていました。あの静寂感、あの空気感・・・。鳥の声さえも透き通って聞こえる。落ち葉をかき集めたり、枝を拾ったりの軽作業をしながら深呼吸をすると、言葉にならない感覚が湧き上がってきました。

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落ち葉や枝は皇居から持ち出されることはなく、堆肥化され循環しています。驚いたのは松の大木の多さです。巷ではマツクイ虫などによってどんどん枯れて無くなっているのに、皇居内はそうでないのです。これらは消毒もしていないとのこと。自然が循環すれば、人工肥料や消毒はいらないのですね。

皇居が放映される際に見る数々の国宝級の盆栽を垣間見たり、陛下がお手植えになる田んぼの周囲を清掃したり、昭和天皇が足繁く通った研究所の周囲を清掃したり・・・実に充実した一日となりました。

いよいよ最終日、四日目は宮殿地区です。一般参賀や国賓をお迎えになる際によくテレビでも放映される場所です。私たちはその内側に入って軽作業を行いました。とにかく、皇居内にはいい加減なものがないのです。石一つ、植木一つが全国から集められ、最高の技術を持って納められているのです。

一通りの勤労奉仕が終える頃、大きな鷹が現れました。私たちの上を低空で旋回、目が合うほどの距離・・・。私は一人ほくそ笑みました。以前過去生療法なる体験をしたことがあるのですが、どうも私は鷹だったようで(笑)。なるほど飛行機が好きで航空高校へ進学し、ハンググライダーで空を飛び、ラジコン飛行機に没頭し・・・。オートバイで旅に出ると、必ず鷹が現れるんです。必ず。そして今回も。

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午後3時55分。天皇皇后両陛下が我々勤労奉仕団のためにお出ましくださることになりました。両陛下のご公務は激務で、毎日分刻みのスケジュールなのだそうです。

ボディーチェックを受け、整列してお待ちしていると・・・お出ましくださいました。

不思議です。

ほんとに不思議です。                                        148386780665450262177

涙が溢れて止まらないのです。滝のように流れ出てくるのです。前の人も横の人も。

陛下は一団体一団体にお声かけくださいます。団長はそれに答えます。私たちの団長は古事記の勉強をしている旨を申し上げると、陛下は『古事記はむずかしいですね』と笑顔で仰り、会場が笑い声に包まれるシーンもありました。美智子様の透明感も言葉では現しようがありません。陛下の横に佇み、あの微笑み、立ち居振る舞い・・・。

あっという間の時間でした。でも、胸がいっぱいなんです。まさに胸がいっぱい。日本という国に生まれてよかった。そしてこの日本という国が未来永劫栄えていくための一分子として今生を全うしよう!!強く強く胸に刻んだ皇居勤労奉仕団の体験でした。

今年の『特攻に学ぶ知覧の旅』の詳細を定めました。ぜひご一緒に\(^^@)/。

  健やかな新年を迎えられたことと、お慶び申し上げます。本年もどうぞよろしくお願い致します。

昨年は今上陛下が皇太子殿下に皇位を譲位されることが決まり、『平成』の元号も今年限りとなりました。1月2日には恒例の一般参賀も行われるわけですが、例年以上の賑わいとなる見込みです。昨年もなんと!東京駅から皇居まで行列ができたとのことです。

 

《皇居勤労奉仕団》                                            bb58829ecaef36abb08c2d5b4f73eabc-1

昨年10月、とある縁から『皇居勤労奉仕団』に参加させて頂く機会に恵まれました。これは大東亜戦争終戦直後、皇居の荒廃した姿を見て憂いた宮城県の有志が勤労奉仕を申し出たことがはじまりだそうです。平日の4日間8時から16時までの勤労奉仕にも関わらず、6か月前の申し込み開始時点で即満席・抽選という人気です。私が参加した時にも北海道や青森・福井・大阪といった遠方から30人以上の団体がホテルに泊まり込みで参加していました。毎日、老若男女300人~500人の方が参加されているそうですが、いやいやいや、こういう世界があることを私は50年間知りませんでした。

 

《初日》                                                       img2b70575czik7zj

初日は7時半集合。縁あってつながった私たちの団体『大和心探求会』は33人。団長は道場さんという方で半導体の仕事で世界を駆け巡る方です。まず300数十人が一堂に会し宮内庁の方から諸注意『皇居内は落ち葉一つ石ころ一つ持ち出し禁止。撮影も禁止です。』おおおお、いよいよ盛り上がってきました!!

皇居勤労奉仕エリアは4つのブロックに分かれています。『赤坂御用地エリア』『皇居東御苑エリア』『吹上エリア』『宮殿エリア』です。

初日は赤坂御用地エリアでした。皇太子殿下ご一家や秋篠宮家ほか宮家のお住まいや『園遊会』で有名な赤坂御苑があります。庭師さんにいろいろご説明を頂きながら、散策をしながら、軽作業をしながら、休憩をしながら・・・かなりゆるゆるです。翌日が園遊会ということで、会場は賑やかに準備が進められていました。園遊会の模様がTV等で放映されましたが、芝生がぴっかぴかに綺麗だったと思うのですが、あそこは私たちが掃除したんです!!(寝転んで休憩もしました)\(^^@)/

この日、サプライズがありました。皇太子殿下のご会釈を賜うことになったのです。金属探知機でボイディーチェックを受け、整列して待ちました。私の皇太子殿下のイメージは富士登山やテニスをしている爽やかなイメージ。。。しかし目の前にお出ましになった皇太子殿下は全く異なりました。重いんです。重たい。爽やかさなどではなく、第126代の皇位を継がれる存在そのものを感じました。

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《二日目》

二日目は皇居東御苑でした。ここは江戸城があったところで、圧倒的な石垣はまさに『要塞』。ここだけ見たら本来の皇居は『京都御所』で、東京は仮のお住まいだ、皇居にふさわしくない、と確信していたに違いありません。『要塞』は観光客も多く、見所もたくさんありました。しかし・・・雨。午後からの作業は中止、解散。せっかくですから有志の方10数名をお誘いして、千鳥ケ淵戦没者墓苑と靖国神社の正式参拝に行きました。初めての方も多く、あたくし得意になって説明したりして・・・(^_^;)                                             vbv8lrz6v9xs_-0

あああ、やっぱりスペースが足りません、あと二日分あります。なんといっても最終日には天皇皇后両陛下のご会釈を賜ったのです!!!ぜひそれを書きたい。んんん、ちょうどカタロ通信は来月号で240号、20年記念号です。ぜひまた郵送させていただきますので続編もご覧いただけたらと。

2月号では家暮楽にて今年の知覧の旅や富士登山の詳細も掲載する予定です。ぜひご一緒に参りましょう!!

  あっという間に今年も師走を迎えました。なんて一年は早いんだろう!!!そう何度も何度も繰り返し繰り返し言っているけれど、やっぱり早いものです。その積み重ねが人生そのもの。今年一年、どのようなことがございましたか。

 

《花梨の大木》                                                       8be546ce81883cef30293ef2e3e2116f

以前の『おさむのひとりごと』でも書かせていただいた『老木・花梨』の報告です。

東日本大震災で百数十年の歴史を持つ母屋が『大規模半壊』となり、修復不可能と判断されたY様邸。同じ敷地内に新居を建てることになりました。そこにあったのが樹齢200年以上と推察される『老木・花梨』の大木です。季節は春。移植するには時期が悪いため枯れてしまう可能性が大きい。伐採して処分してしまうか、否しかしY家の御神木とも言えるこの花梨を、そう易々と処分するわけにはいかない。Y様と一緒に悩んだのですが、それを払拭させたのは植木職人松浦さんの一言でした。『こんな仕事は自分の人生で二度とないと思う。出来る限りのことをさせていただきますので、やらせてください。』季節外れの移植が決まりました。

 

《移植後》                                                          

移植は順調にすすみました。可能な限り大きく根巻きをし、水分をたっぷりと与え、根付くことを祈りました。

しかし、だめでした。夏の暑さに負け、樹皮がどんどん剥けていってしまうのです。痛々しい。ほんとうに痛々しい。『枝をバッサリ伐るしかないですね・・・』痛恨の思いは松浦さんも一緒です。老木『花梨』は、極限まで四肢を切り取られました。包帯のように藁でぐるぐる巻きにして保温。これで芽吹かなければ諦めるしかない。。。  

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《新芽が出た!!》                                            

四肢をもぎ取られた老木・花梨が、2012年の春、小さな小さな芽を生み出してくれました。大木にしてあの小さな芽!!!老木・花梨が必死に生きようとしているのだと、伝わってきました。

やがて少しずつ枝が増え、葉も付くようになりました。そして2013年の春には小さな花を咲かせてくれました!!!植木職人の松浦さんは、引き続き献身的に手入れをしてくれました。

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《そして・・・》

『社長、Yさんが「しゃちょうに実がなったって伝えてくれ」って言ってましたよ』と監督長澤。『なにい~!わかったッ!!』と、まるで娘が子供を出産したかの勢いで現場に向かいました。

現場に着くとニコニコとYさん。『いやー、いつ言おうか迷ってたんですけどね。あの続けざまの台風で落ちちゃうんじゃないかと思ったんだけど、しゃちょうが来るまで待ってたみたいだね!』

人間の都合でね、ほんとにごめんねぇ。あの威風堂々とした姿が、こんなになっちゃったけど、こうして実をならせてくれてねぇ。あたしゃうれしいよ。泣きそうなくらいうれしいよ。

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《今年もありがとうございました》

平成29年もいよいよわずかとなりました。どんな一年でしたでしょうか。私にもいろいろな事が起こりました。例年通り、起こった事象のすべてに『ありがとうございました』と、大晦日の西に沈むお天道様に万感の思いを込めて頭を垂れたいと思います。新年もすばらしい一年でありますように。

   ふ~っと息を吐くと、グリーンだった世界がベージュ色の世界に変わっていることに気づきます。静かで空気が透き通っていくようなこの季節が私は好きです。いかがお過ごしですか。

10月号に引き続き『北澤工務店ゆるゆる富士登山』の報告です。

 

《富士登山報告その2》                                

行方不明となったIさんも合流し、体調不良となったYさんもマグネシウムサプリで回復した矢先、今度はSさんが体調不良を訴え始めました。Sさんはご高齢ながら、たつのこ山を走って登るなど日々トレーニングを重ねている方です。でも富士山という環境において、なにか狂ってしまったのですね。症状はどんどん悪化し、左足がつったと思ったら右足が、ふくらはぎかと思ったら太腿が、、、加えて嘔吐も。。。もう二進も三進も行かない。狭い登山道で横になったまま動けなくなってしまいました。しかもここは、登るも下るも山小屋までの中間点。全体は先に行ってもらい、私とチャリダー優太が残り、マッサージをし、サプリメントと水分補給を促し、荷物を持って付き添いました。一時は10m進むのも大変でした。でもSさんのすごいところは、あれだけの体調不良に見舞われても『心が折れない』ところです。明るく声もだしユーモアも笑顔も忘れず!!なかなかできることではありません。つらい時こそ明るく元気に!と口で言うのは簡単ですが、そのホンモノを見た気がします。

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   心地よい風が秋を感じさせてくれる季節となりました。『一番好きな季節』とおっしゃる方も多いのでは。いかがお過ごしですか。

今回は台風で2年続けて中止となった『北澤工務店ゆるゆる富士登山』の報告です。やはり何度登っても富士山は素晴らしい。今回もハプニングと感動と反省の連続の富士登山となりました。盛りだくさんの二日間だったので、2回に分けての報告です。

《富士登山報告その1》                                   c094547269358b62bb02aa77b56547eb

21名という大所帯となったチーム北澤。その中に急遽参加となったユニークな若者がいました。優太という若者。彼は大学4年生で北海道在住。うちの次男坊が徒歩旅をしている時に出会い、散々お世話になったそうなんです。で優太、今度は自分が『日本縦断自転車旅』(通称チャリダー)を企て、実行し、ちょうど茨城を通過するというので富士登山に誘ったところ、二つ返事で『行きたいです!』ということに。若者の感性は素晴らしいなあ。

OB施主様や取引先や友人そしてチャリダー、14歳から72歳の21名の富士登山が始まりました。

《いよいよ出発》                                                     20045

午前4時北澤工務店事務所前を出発。運転手はやはりOB施主様の足立さんです。今回は『プリンスルート』での登山ということで富士宮口五合目に到着。高度順応の後、集合写真を撮り緊張感と共に出発。6合目まで来たところで、最初のハプニング。『Iさんがいない!』あちゃーーーー、なんてこった。。。

五合目まで駆け下りて探したけどいない。待機してくださっている足立さんに訊いてもわからない。

仕方なく戻ってしばらくするとIさんから電話。『あぁ、社長がぁ。なんだか違う方に来ちゃったみたいだなぁ!』道を間違えて富士宮口登山道の7合目まで登ってしまったらしい。。。何度も車内で注意して、資料も渡したんだけど・・・(^_^;)

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申し訳ないけれど下山して分岐を経て追いついてもらうことに。ちょうどその頃全体は3歩進むと2歩下がる通称『アリ地獄』と言われる宝永火口を登っていました。すると次のハプニング。過酷な登りに体調不良の方が出てしまいました。で、前回の富士登山で学んだサプリメント(マグネシウム)を飲んでいただくと、あら不思議!!5分もしないうちに元気になっちゃった。恐るべしサプリメント。

やっとの思いでアリ地獄を登りきって休んでいる時に、Iさんが追い着きました。金剛杖に日の丸が目印のIさん。その姿が霧の中に現れた時の仲間の歓声が忘れられません。で、その時の『いや~、やっと追いついたぁ!』のIさんの勇姿\(^^@)/  cea40af310287a5d926f5dc29bf9cafe

宝永火口と富士山の裾野の圧倒的な風景を堪能しながら御殿場口登山道に取り付く頃、Sさんが体調不良を訴える。Sさんはご高齢ながら常にトレーニングを重ねており、たつのこ山も走って登るほどの方です。しかし山では何が起こるかわからないものです。かなり重篤な様子で、足がつったり嘔吐が襲ったり。やがて全く歩けなくなってしまった。。。

 

他の方々には先に進んでもらい、チャリダー優太と私でマッサージをしたり荷物を持ったりお話しをしたり・・・でもどうにもカラダが動かないSさん。この辺は山小屋もない。下山しようにも相当上がってきてしまった。どんどん時間が経ち果たしてこの先どうなるか!!続きは次号で。

  暑さ寒さも彼岸までとは言いますが、今年の夏も厳しかったですね。いかがお過ごしですか。今回は『50歳だよ!富士登山&同窓会』のお話を。

私は山梨県にある日本航空高等学校を卒業しました。24期生です。当時の航空高校は『全人教育』を掲げ、全寮制・全クラブ制、外出も許可制で洗濯機もなく、テレビは食堂に一つという、非常にユニークな高校でした。高校時代のエピソードはこれまでにも何度か書かせていただきましたね(笑)

当時16歳だった仲間も今年50歳。いつの頃からか『50歳になるんだから、記念に富士山に登ろうぜ!』みたいな話が出て、『富士山に登ったあとに同窓会やろうぜ!』なんていう話がまとまっていきました。実施日は8月4日5日に決まりました。

登山希望者は9人。石和温泉に集合して須走口から登ることになりました。50歳だよ 富士登山 同窓会_170810_0176須走口は7合目まで樹林帯が続く気持ちのいい登山ルート。しかも金曜日であるのに空いています。菊屋のおばちゃんに挨拶して、雨交じりの中歩き始めました。

初めはかなり調子よく歩いていたのですが、本6合目あたりを過ぎると異変が。。。二人が『頭が痛い』と言い始め、列から遅れるようになりました。やがて標準時間の倍の時間をかけて8合目下江戸屋に到着。ここからは吉田口登山道と合流するため、いやまあ~!!とんでもない混雑状況です。山小屋さんも忙しいから仕方ないのですが、やはり須走口で泊まるなら『見晴館』に限りますね。ぜんぜん快適さが違います。

翌日は混雑を考えて午前1時半に出発。団体のガイドさんの声が響く暗夜の中、無事頂上。朝日岳に移動して御来光を待つ間のあったかいコーヒーと味噌汁。いやーーーこの美味さといったら言葉にしようがありません。そして・・・その瞬間。。。  

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記念写真を撮り、お鉢巡りを堪能して下山。この下山がまた厳しいんです。厳しくても自分の足で歩くしかない。膝を痛めた仲間もいました。体力の限界だ~!と嘆く仲間もいました。それでも歩き続ければ必ず着く。4時間かけて無事に到着したのでした。

お昼ご飯を食べ、石和温泉に戻ってきたのが15時。宿にチェックインして温泉に入り、18時からの同窓会に備えました。

同窓会には同期生30人、恩師7人が集まりました。いやーーー、こんなに集まってもらえるとは思わなかった。大盛会の同窓会となりました。

3年間同じ釜の飯を食った仲間です。私たちを24時間見守ってくださった恩師の方々です。思い出話の花に花が咲いたのは言うまでもありません。2時間半、あっという間の同窓会でした。

仲間って素晴らしいですね。在学中は孤独感とか孤立感を感じていた私ですが、私自身の問題だったんですね。同期生は作り直しができない。この仲間と、ずっとつきあっていきます。

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